2019年2月25日月曜日

映画

こんにちは。清水文太です。

今回は、先日観た映画の話をします。 
アルベール・デュポンデル監督の「天国でまた会おう」という映画を先に観させていただきました。

あんまり、こういう具体的な話題について書くことがなかったですが、面白かったので書きます。

この映画は、戦時中に仲良くなった青年とおじさんが中心となり話が進みます。
「人の死が好きな」上曹が仕掛けた銃撃戦(そのまま休戦する流れだったのに、下っ端を前線に駆り出させて戦争を生んだんだ)によって、青年は重傷を負い、顎を失ってしまう。

病院に運ばれた青年は、モルヒネを打ち、苦しみと戦いつつも「家族には絶対会いたくない」と壮年に伝え、壮年は彼のために偽装工作をし、青年が死んだことにする。

そこから物語の本編が始まっていく。

僕自身、考えることがたくさんありました。

人々の思惑、金によって変わるさま。葛藤、真の愛。
今も昔も変わらない本質的な問題を説いているような。

児童虐待が近年問題になっているのも、メディアが取り上げ、騒いでいるから浮き彫りになった。
「面白い」と取り上げている野蛮なワイドショーも出てくるし、本物のジャーナリズム、真実を追求している素晴らしい者も存在する。
人の死を無駄にしてはいけない。それで金を得ることなんて尚更だ。
ただ、「言わなくてもいい、隠したいこと」は人間にもある。

青年が家族と会いたくなかった理由は、なんだろう。 
物語が進めば進むほど、愛とはなんなのか、見えてくる。

クソが。と思うような出来事の連鎖で作られた地雷は、人生を歩むうちに踏むこともたくさんある。
それでも、愛や友人の力が何か、大きい社会を変えられるということを信じたいな。

またね。

清水文太


2019年1月25日金曜日

三軒茶屋

僕は恥ずかしいと思われる大人にはなりたくない。
そんなことを考えさせられる人達がいた。

利用して。いいふりして。
時として尻尾を振り、動物のように威嚇をし、身を守る。
そんな人達に久し振りに接したが、そんな奴らだけの世の中じゃない。

昨日、スタイリストの友人と僕の家で飲んだ。
サシ飲みだ。
というのも、来ると言っていた知人が皆、来なかったからだ。
日光旅行から帰ってきた彼女は「今月は暇なんだよね」と見た目の美味しさだけで選んだ、ジャムが発酵したような不思議な味をした苺ワインと、横浜から買ってきたという小籠包を取り分けて食してた。
二人きりのその空間はまるで電車を乗り過ごしてしまった後の待ち時間のようだった。
「この後誰も来ないから下北沢に行こう」お声をかけた。
三軒茶屋駅に降車して、そこから歩いて、1/20に辞める友人に声をかけるため古着屋に向かった。他愛のない話をした。
さっき話した、ひどい大人たちとのやりとりを見ながら。

でも、ここからが面白かった。ゲームセンターに行ったことがないという彼女とUFOキャッチャーをする。
1000円で二つのぬいぐるみを掴み獲った彼女の顔は上京したての少女のような、若々しい顔をしていた。
その合間に来ていた、大人たちのやりとりのメールを忘れるような、素晴らしい瞬間だった。僕は笑顔になった。

その後、帰宅をし再び彼女と飲んでいると、生の話になった。

彼女は言ったんだ。「文ちゃんは、すごいよ。言いたいことを言って、間違っていることを間違っているといえることって。大人になると、そういうの、忘れちゃうのよね」って。
僕は少しだけ寂しい気分になった。冬の木に巻かれていたイルミネーションが剥がされるところを見るような、そんな感覚だった。

でも、その後彼女はすぐに付け足した「でも、大人になって、醜い奴らを見る時間が減ったの。いや、なくなったの。それは、生きていく上でもっと楽しいこととか、生きてるだけで素晴らしいって思えるようになったから。そんな、深く考えなくていい時もあるのよ、文ちゃん。なんかあったときは、なんかあったときだから。どうせ死ぬのよ。」
実は体調を崩し、死を意識していた僕には救いの言葉になった。

この世の中、汚い空気を吸って汚い心になる人たちもたくさんいるけど
汚くても、それを光合成をする植物のように、綺麗な空気にできる人間たちを僕はいっぱい知っている。そんな人が、僕の周りにはほとんどだ。
守ってくれている。皆が。仕事の人も、遊びの人も。友人も。
だから、僕は太陽になって、エネルギーのになるような存在になりたい。


もっと、気楽に過ごそっと。

2019年1月5日土曜日

地元

昨日はいい時間だった。
クリスマスパーティを終えた朝、盃を交わした大人の修学旅行が終了したような、寂しくも決意を固めた感覚に近い気持ちになった。
学生時代からの友人、2018年から仲良くなったダンサー、色々あったけど、今は仲がいい人とか。豊かな心を持った
彼らとの絆を深め合った夜だったから。
絆なんて言葉、あまり使わないのだけれど、最近は存在するなと思ったりする。
自らの言葉で「ともだちだよね」なんて言わない。感覚的に拾えるものが友達。
幼少期ぶりに再会しても当時のまま接することができること。
「おはよう」って当たり前みたいに言えること。それが大事。

実は、幼少期に住んでいた地域に引越しをしたので散歩もしたんだ。
コンクリートとレンガ調の舗装された道。そこに陳列されているチェーン店と、並んでいる個人店。
老若男女がその固い地面を踏んで進んでる。
その町の商店街のスピーカーから流れる某キャラクターの音楽を聴きながら。とある国民的漫画の作者が住んでいたんだ。だから、推しが強い。
それこそ、5歳くらいの時、祖母によく連れていってもらっていたケーキ屋さんに今日、行った。
クレームダンジュを食べることが最高の楽しみで。その前に訪れる、祖母によるお買い物と呼ばれる最低に退屈な時間が、メインディッシュに感じられるくらい。
甘みが口の中で少しずつ蒸発していくような、スッキリとした味。その中に入ったベリーソースがその甘みを引き戻してくれる。まるで小さな雲を食べているようだった。
僕が洋服を好きになったのは祖母のおかげといっても過言ではないので、今となってはあの「最低と最高」のジェットコースターに乗っているような気分のコースが全てにおいて至福の時だったと気付いた。あれは、僕にとってセンスを得た大切な空間でもあったのです。
よく行く駄菓子屋さんも開いていたし、過去に戻って、自分が子供になったような気分でした。まあ、今もずっと子供のままだけど。

その後、仕事でお世話になった広告代理店をやりながら、指輪のブランドをやっている方とご飯に行った。そこは、毎月三千円の会費を払えばカレーが1日一皿無料らしい。なんて素晴らしいシステム。通おうと思う。
様々な話をしたんだ。家のこと、恋愛、仕事。
僕は正直だから、色んなことについてディスカッションができる彼女が好き。
上とか、若いとか、立場とか、良い意味で考えずに話せるフラットな空間だ。6curryという場所。
その後、そこで出会った彼女の知人の男性二人となぜか銭湯へ行った。
改良湯という銭湯で、サウナに入ったらスッキリ爽快。昨日のクリスマスパーティの酒が全て抜けた気がした。
「職業のカテゴライズではなく、そもそも、何をやりたいかですよね」なんて、真面目な話もしたりして。
いい時間でした。

きっと、もっともっと世の中が変わって、様々なことが起こって。
それでもみんなは生きて、死んで、駆けずり回って、倒れて。
それでもみんなが来年も、ずっと先も。
こんな風に盃を交わす素敵な修学旅行ができたらなと思う。


あー、ケーキうまかったー。あ、カレーもね。

2018年11月15日木曜日

名前

こんにちは。清水文太です。


「こんにちは。清水文太です。」
ここからいつも書いているコラムは始まる。

何故かというと、僕は自分の名前が好きだから。何故だろう。

「文太」という名前は、父が菅原文太のファンだったから。なんて単純な理由なんだろうと思うけれど、ヤンキー文化に触れていた元々の家族にとって自然な流れだったのかもしれない。
この名前は、沢山の人に覚えてもらいやすいんだ。だから、気に入ってる。

だけど、「清水」は以前まで大嫌いだった。
僕の元々の苗字は「勝澤」で。
小学四年生の時、担任の先生が「今日から勝澤くんは清水くんになります!覚えておいて!」と説明をしてくれた。
その直後、友人の山本くんが「お前の親、離婚したんだろ。知ってるよ、俺のパパが言ってたからさ」って。
心の中で磨いていた大切な宝石を、いとも簡単にゴミ箱にポイっと捨てられたような気分になった。
継父のことも好きじゃなかったからこそ、この「清水」という苗字を恨むことが多くなった。

苗字で呼ばれたくない。苗字を書きたくない。苗字を見たくない。

そんなことをしていたら、孤独になった。

だけど、気づいた瞬間があって。
僕の名前に僕の全てが詰まっているわけじゃないって。

「清水」というのは社会的に、人生の中で命名された「苗字」でしかなくて。
「清水文太」も名前でしかなくて。
僕の性格や、見た目、考えていることや思想が詰まっているわけではないのだ。僕の魅力は、僕の肉体からでしか表すことはできないのだ。って。

そう考えたら楽になりました。

それに、こないだ姓名判断をしたんです。柄じゃないんだけど。
そしたら、「勝澤文太」より「清水文太」の方が圧倒的に運気もいいし将来成功しやすいって。

この名前も、苗字も、僕の人生の中の一つだ。

悲しいことはあるかもしれない。辛いことはあるかもしれない。だけど、悪いことなんて一つもないんだ。

またね。

清水文太



2018年10月18日木曜日

空と時計

こんにちは。清水文太です。

久しぶりに、自分が運営していたコラムを再開させることにした。

ここでしか書かないことを綴ろうかなと思う。何を書こうかな。文字数制限とかもないし、いいね。じゃあ、最近思ったことを綴る。

今日、ビーガンを謳った移動式お弁当屋さんの三種盛り、ご飯大盛りメニューを頼んで、食べながら考えていたこと。

僕らは様々な場所へ行き様々なことを飲み込んで、吐き出して生きている。
色んなものが瞳に映る。聴こえる。感じる。

いつまでも僕らの上で過ごしてくれている青い、ときどき涙を見せる空。どこかの人間が植えた木々。自然と咲いている小さな白い花。
当然かのごとく歩けば存在するコンビニや建物。その中に吸い込まれるOLやサラリーマン。どこか、みんな暗い。
「お母さん」と声を掛け、純粋無垢な笑顔を辺りに注いでいる女の子。元気のない大人達に水を与えているかのようだ。
テーブル、椅子があって そこに僕が座っている。
白くて綺麗なように見えるが、よく見ると少しばかりの埃が乗っかっていて 僕は見て見ぬ振りをして弁当の上に盛られたベジケバブを食していた。

こんな、様々なものに囲まれた世界に生きている僕だ。今は苦しいと思うことも少しずつ減った。変わった、という風な言い方が近いかもしれない。空を見上げず、俯いてばかりいたのだ。

きっと、昔の僕だったら美しい空や、飛行機雲に気づいていなかった。下を向いていたから。埃しか視界に入っていないに違いない。


僕らは考えれば、沢山のことをきっと無意識に色んなものを吸収している。
それは、汚い埃かもしれないし、美しい空かもしれない。それは自分次第だ。

代々木公園で行われていたあるフェスの帰り道、僕は友人の子供と遊んでいた。
時計台のある広場でブロック飛ばしをしていたとき、ふとその子供が「ねえねえ、この時計は、どこにおうちがあって、どこにかえるの?」と訊いてきた。
僕はわからなかった。わかりたかった。どこに帰るのか。
空を見上げ、キリンのように首が長い時計とにらめっこをしても、変顔なんてしてくれないし、十七時のチャイムの時にしか声をかけてくれないのだ。
きっと、わかる時が来るのかな。いつかの十七時に。

時計台の帰る場所と同じくらい、僕らは分かるかどうか解らない答えを探求しながら人生を歩んでいる。大人になればなるほど見えなくなる、モスキート音のようなものを探してる。
苦しいかもしれない。辛いかもしれない。
だけど、いつもより少しだけ上を見上げていたら。
分かるような気がする。聴こえるような気がする。
僕らの生きる意味が。

またね。







2017年4月4日火曜日

昨日思ったこと

こんばんは。

久しぶりに更新しちゃう〜 インスタライブやったら 意外と見てくれてる人いて。
頑張るんだから〜
めちゃ頭固めで真面目な中身なのにね。 読んでくれて有難う。

昨日あったことを書こうかな。
新宿のとあるセレクトショップに俺は寄った。
そこで、とある家族と出会った。先日のdoubletのショーで一緒になったモデルの家族。

ひょんなきっかけで お話しできる場ができた。急遽。
手作りご飯も食べたんだ。美味しかったなあ。
それで、見てたんだ。彼らの姿。子供の姿。
本当に皆が笑顔で 幸せで。愛が溢れていたんだ。
飲み物が溢れてしまっても コーンを落としても 「ああ、うまく食えないんだなあまだまだ!」って笑ってる。
僕も一緒に笑顔になった。一員になった気分だった。
涙が出そうになったんだ。

僕は 少しだけど複雑な環境で生きていて そういう場に自分がいたことがない。
だから 感動したんだ。こんな光景 本当にあるんだ。と思って。
これが当たり前な日常が 存在することに 感動した。

家族というものは 大抵の人間は当たり前のように存在している。
だけど それはかけがえのないものであって
一緒にご飯を食べて、寝る場所があって 笑顔になれる場所がある。
頼りになれる人がいる。怒ってくれる人がいる。
きっと それを味わえるのは 最新コレクションを身に纏ったりするより(ちょっとここでファッション感出してみた)ずっとずっと幸せなことなんだと思う。

Mimi.wadeのフリルTシャツを頑張って買った喜びも重要だけど
Uniqloの洋服を買って それを大切にするのも 大事なんじゃないかな。
なんでも 大事にしなきゃね。


俺も、頑張ろ。 またね。

清水 文太

2017年1月28日土曜日

こんにちは。清水文太です。皆さん元気ですか?

今日は、服を楽しんでいる(つもり)の俺視点から思うファッションの在り方について考えようと思います。
俺の見解ね。笑

俺は、レディースでも某アパレル大企業の服も、ブランドの洋服も着る。
可愛いと思ったらなんでも着る。

ある人は comme des garçonsしか着ない。
ある人は ハイブランド以外のファストのパクリは全てNG。
ある人は着る服なんてなんでもいい。暖かければ。
色々な考え方がある。

色々、あっていいと思うんです。皆んなが、みんなの楽しみ方でいいと思うんです。
楽しもう! って 感じます。

みんなの楽しみ方を 受け入れるべきだと気付いたのが今で良かった。
これは、人にも言えることだと思う。

マイノリティの人々がいたり、ストレート(異性愛者)の人々がいたり。
ずっと鬱で 悲しい考えの人がいたり
死にたい人もいる。死にたくない人もいる。
自殺する人もいる、自殺なんて考えたこともない人もいる。

逆にずっと元気な人がいたり。ずっと苦しい思いをしている人もいたり。
それを否定し合う人間がいる。
悲しい考えの人々とは関わりを断絶して生きていく人もいれば、その人達を助けようと生きている人間もいる。
色んな人がいるから面白い。生きていける。だから、皆仲良くして楽しく生きよう。ってさ。思うんだよね。(楽しく生きたくない人間がいるのなら、それでもいいと思う)



色んなものを否定するもの、人、団体。それが存在することはファッションも人間も 悲しい。
皆んなが違うから 良いんだ。って(否定することを否定すること自体ヘイト感のあることだということは分かるが、悲しいものは悲しい)

俺はまだ10代だ。若いから、わからないことも多い。
だけど、とにかく悲しい顔してる人がいるのも嫌だし、俺が悲しい顔しているのも、前を向かなきゃなとも思う。
皆んなで助け合っていこう。喧嘩なんかしないでさ。

変な文章!笑

まー ほどほどにファッションも色々 頑張っていこう!